
FASHION・・記事内容:約3分
アロハシャツは、着物の生地から始まった。沖縄の「かりゆし」とクールビズまで、夏の仕事着の話
アロハシャツは、ハワイの日系の人たちが着物の生地でシャツを仕立てたのが始まりとされる。アロハ・フライデー、沖縄のかりゆしウェア、環境省のクールビズまで、夏の仕事着をたどる。
※生成画像
花柄の半袖の開襟シャツ。アロハシャツは南の島の遊び着に見える。
でも始まりをたどると日本の着物が出てくる。そして行き着く先は夏のオフィスだ。
着物の生地で、シャツを仕立てた
アメリカのスミソニアン協会の雑誌は、アロハシャツの始まりをこう書いている。1920年代か30年代のハワイ。はっきりとはわからない。おそらく日系の女性たちが、着物の生地を男性のシャツに仕立て直したのが始まりだ。
よく名前が挙がるのは、ホノルルの「ムサシヤ」という店の宮本孝一郎。富士山など日本の絵柄のシャツが、彼の店のものとして残っている。
「アロハシャツ」という言葉を商標にしたのは、別の人だ。ワイキキの店主エラリー・チャン。1932年ごろとみられる柄には、日本の絵柄から、ハワイの絵柄へ移っていく様子が見えるという。
1ドルで買えるシャツが、本土で売れた
アロハシャツはまず観光客に売れた。1930年代の半ばには、アメリカ本土で人気に火がつく。
日雇いの労働者でも、1ドルほどで買えた。1940年には、いまのお金にして年に1,100万ドル以上を売り上げていたという。1939年のある記者はこのシャツを「心地よさと、陽気さと絵になる景色の象徴」と書いた。
戦争のあと桜や神社の柄ははやらなくなる。代わりにハイビスカスなど、ハワイの花の大きな柄が主役になった。トルーマン大統領もニクソン大統領も着た。1961年には、エルビス・プレスリーが映画『ブルー・ハワイ』で着ている。
金曜日は、アロハで出社
1960年代にはアロハシャツはどこにでもあった。ハワイでは、金曜日にアロハシャツで仕事をする「アロハ・フライデー」が、職場の決まりごとになっていく。
この習慣は、のちにアメリカ本土の「カジュアル・フライデー」につながったとも言われる。
沖縄の「かりゆし」は、アロハに負けないシャツ
日本にも同じ道をたどったシャツがある。沖縄のかりゆしウェアだ。
沖縄県のページによると、始まりは昭和45年(1970年)。当時の沖縄県観光連盟の会長、宮里定三さんの発案で、「沖縄シャツ」の名前で売り出された。目的は暑い夏を快適に過ごすことと、観光の沖縄を知ってもらうこと。
「かりゆし」は沖縄の言葉で、「めでたいこと」「縁起のいいこと」。平成12年(2000年)に、名前を「かりゆしウェア」にそろえた。同じ年の九州・沖縄サミットで、各国の首脳が着たことをきっかけに一気に広まった。
かりゆしウェアには決まりが2つある。沖縄県で作られたこと。そして沖縄らしいデザインであること。名前は沖縄県衣類縫製品工業組合が商標にしている。
いまでは県庁や国、市町村、会社でも仕事着として着られている。県は夏の正装として定着していると書いている。

そして、クールビズ
2005年4月。環境省は夏の新しい働き方の愛称を一般から募った。応募は約3,000件。選ばれたのが「COOL BIZ(クール ビズ)」だ。
冷房の設定を28℃くらいにしても、涼しく効率よく、格好よく働ける服装。上着を脱いでネクタイを外す。その呼びかけに名前がついた。
2019年6月には、閣議に出た大臣が全員かりゆしを着る「かりゆし閣議」が開かれている。かりゆし閣議はこの年で12回目だった。
来年の夏は、柄を一枚
着物の生地から始まったシャツが、海を渡ってハワイの仕事着になった。それが沖縄で日本の夏の正装になった。
ネクタイを外すだけが夏の仕事着じゃない。来年の夏は柄のシャツを一枚、仕事の日に混ぜてみる。そのくらいの遊びがちょうどいい。
出典
- Smithsonian Magazine「The History of the Hawaiian Shirt」
- 沖縄県「かりゆしウェアについて」
- 内閣府「宮腰内閣府特命担当大臣記者会見要旨」2019年6月4日
- 環境省 報道発表「『夏の新しいビジネススタイル』愛称発表」2005年4月27日
- Wikipedia「Aloha shirt」(アロハ・フライデーの補足)
情報確認:2026年10月


