フランスの港町の石の岸壁に、紺と白のしまのシャツにジーンズの男性がもたれている。後ろに漁船と古い建物。AIで作った絵で、実在の人物の写真ではない。

FASHION・・記事内容:約3分

ボーダーのシャツは、フランス海軍の水兵の肌着だった。1858年の決まりで、しまは20〜21本

紺と白の細いしまのシャツは、フランスでは「マリニエール(水兵の服)」。霧の海でも見つけやすいと言われるしま模様は、1858年に海軍の制服になった。しまの幅は1センチ、間は2センチ。ココ・シャネルが街に連れ出し、休日の服になった。

※生成画像

紺と白の細いしまのシャツ。ボートネックで袖は少し短め。週末のジーンズにもジャケットの下にも合う。

日本では「ボーダー」と呼ばれることが多いこのシャツは、フランスでは「マリニエール」、つまり「水兵の服」と呼ばれる。もとは海の上で働く男たちの下着だった。

霧の中でも、見える

フランスのボート雑誌『BoatNews』によると、しま模様のニットは17世紀にはもうフランス北西部のブルターニュやノルマンディーの絵に現れている。防水の上着の下に着る肌着だった。

なぜしまなのか。言い伝えでは見つけやすくするためだ。夜の暗さや霧や嵐の中でも、しまの服を着た人ははっきり見える。帆を操っている水兵もしまがあれば見分けやすい。

1858年の、海軍の決まり

1858年3月27日。フランス海軍は決まりを出して、このしまのシャツを下士官(水兵をまとめる立場の人)と水兵の制服に加えた。

決まりは細かかった。BoatNewsによると、本物のマリニエールには胸と背中に藍色のしまが20本から21本。しまの幅は1センチ。しまとしまの間は2センチ。袖には14本。しまを染めた藍は、当時いちばん進んだ染料だった。

21本という数には言い伝えがある。ナポレオンの21の勝利を表しているというものだ。ただこれは確かな記録というより、よく語られる話らしい。

もうひとつ面白い話も伝わっている。決まりで作られたシャツは、太ももの上まで届く長さだった。当時の水兵はパンツ(下ばき)をはいていなかったので、かがんだときにお尻が見えないようにというのだ。

1910年ごろのフランスの水兵の写真。白い帽子に、大きなえりの紺の上着。胸もとから、しまのシャツがのぞいている。撮影者は不明。
写真: 撮影者不明 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

なぜ「ブルトン」なのか

英語ではこのシャツは「ブルトン・シャツ(ブルターニュのシャツ)」と呼ばれる。フランス海軍の水兵の多くがブルターニュの出身だったからだ。19世紀のブルターニュの人々にとって、海軍は貧しさから抜け出す道でもあった。

シャネルが、街に連れ出した

20世紀のはじめ。海辺の町によく通っていたココ・シャネルは地元の水兵たちの服に目をとめた。

BoatNewsによると第一次世界大戦のころ、シャネルはノルマンディーの海辺の町ドーヴィルの店で、水兵の服から着想を得た服を売り出した。コルセットで体をしめつけ、フリルで飾る服が当たり前だった時代に、動きやすいニットは、ちょっとした革命だった。

1928年のココ・シャネルの写真。しまのシャツに黒いズボンで、庭に立っている。足もとに大きな犬。撮影者は不明。
写真: 撮影者不明 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

その後このしまのシャツは、画家や作家、映画俳優たちに愛された。イギリスの雑誌『PHOENIX』は、写真家ロベール・ドアノーがこのシャツを着たピカソを撮った1952年の写真を挙げている。

仕事着から、休日の服へ

ノルマンディーの老舗ニットメーカーの社長によると、20世紀のはじめ、このシャツはあくまで仕事着だった。1936年にフランスで有給休暇ができて、休日というものが生まれてから変わっていったという(『PHOENIX』)。

次に選ぶときは、しまの幅を

ボーダーのシャツを買うとき、しまの幅をちょっと見てみる。細いしまと、その倍くらいの白い間。それが、フランス海軍が決めたもともとの比率に近い。

霧の海で見つけてもらうための服が、いまは休日の街で目に入る服になっている。

出典

情報確認:2026年10月

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