
SCIENCE & TECHNOLOGY・・記事内容:約3分
ゲームボーイの画面は白黒だった。花札の機械を直していた人が信じた「枯れた技術」
ゲームボーイの画面は、色のない4段階の液晶だった。色つきの競合機が出ても売れた理由を、横井軍平の「枯れた技術の水平思考」と、発売当時の価格・電池の比較からたどる。
※生成画像
ゲームボーイの画面は白黒だった。正確には緑がかった灰色を、濃さの違う4段階で表示する液晶だ。色はついていない。
同じころ色のつく携帯ゲーム機は、すでに出ていた。それでもゲームボーイは売れた。ゲームボーイカラーと合わせた販売数は、約1億1869万台。
なぜ色なしで勝てたのか。その根底には一人の開発者の考え方があった。
花札の機械を直す人だった
名前は横井軍平。1941年に京都で生まれ、大学で電子工学を学んだ。1965年に任天堂へ入る。仕事は花札をつくる工場の機械の保守だった。
ゲームを作る人ではない。機械を直す人だった。
翌1966年、横井が遊びで作った「伸びる腕」のおもちゃが、社長の目にとまる。商品になった「ウルトラハンド」は、120万個以上売れた。そこから開発の仕事へ移った。
のちの「ゲーム&ウオッチ」は新幹線で、会社員が退屈そうに電卓のボタンを押す姿を見て思いついたと伝えられている。
「枯れた技術の水平思考」
横井の考え方はこう呼ばれる。「枯れた技術の水平思考」。
最新の部品は使わない。すでに広く使われて値段がこなれ、壊れにくくなった技術を、思いもよらない形でつなぐ。ゲームボーイの根底にあったのは、まさにこの発想だった。
ゲームボーイはその代表だ。
- CPUはシャープ製で約4.2MHz
- 画面は2.5インチの液晶。160×144の点で濃さは4段階
- 電池は単3を4本。最長で約30時間とされる(資料により差がある)
目標は、1万円を切ること。でも画面の費用が重く、1989年4月21日の日本での発売価格は12,500円になった。
色つきの相手に、勝った
アタリのリンクス、NECのターボエクスプレス、セガのゲームギア。どれもカラー画面の携帯機だ。発売のときの値段と電池の持ちを並べてみる。
| 機種 | 発売 | 価格 | 電池 |
|---|---|---|---|
| ゲームボーイ | 1989年 | 12,500円 / 89.99ドル | 単3×4本、約30時間 |
| アタリ リンクス | 1989年(米) | 179.99ドル | 単3×6本、約4〜5時間 |
| PCエンジンGT / ターボエクスプレス | 1990年 | 44,800円 / 249.99ドル | 単3×6本、約3時間 |
| ゲームギア | 1990年(日) | 19,800円 / 149.99ドル | 単3×6本、約3〜5時間 |
(価格は発売時。ドルは米国、円は日本。)
ゲームボーイはアメリカで見ると、リンクスの約半分。ターボエクスプレスの3分の1ほど。日本でも、PCエンジンGTの3割以下で、ゲームギアより7,300円安い。電池はほかの機種の6〜10倍も持った。
それでも売れたのはゲームボーイだった。安く電池が長持ちする。この2つが効いたとされる。
日本では、発売から2週間で30万台が売り切れた。北米では発売初日に4万台。日本以外では「テトリス」が本体に付いてきた。「ポケットモンスター」の赤・青・黄は、あわせて4600万本以上。
ポケットに入る、いちばん古い答え
横井は1996年に任天堂を去り、自分の会社をつくった。そして1997年10月4日、交通事故のあと、56歳で亡くなった。
最新じゃなくていい。毎日ポケットに入れて、電池が切れるまで遊べる。花札の機械を直していた人が出した答えは、30年以上たったいま見ても、ちょっとかっこいい。
出典
- Wikipedia「Game Boy」
- Wikipedia「Gunpei Yokoi」
- Wikipedia「Nintendo Research & Development 1」
- Wikipedia「Game Gear」
- Wikipedia「Atari Lynx」
- Wikipedia「TurboExpress」
情報確認:2026年10月


