1945年、MITの放射線研究所で、たくさんの計器や機械に囲まれた作業台に向かい、マグネトロンを試験する技術者。白黒写真。

SCIENCE & TECHNOLOGY・・記事内容:約3分

電子レンジは、レーダーの研究所で、ポケットのチョコレートが溶けたことから始まった

12歳で学校をやめ、海軍で無線を学んだ技術者パーシー・スペンサー。レーダーの部品マグネトロンのそばで、チョコが溶けていることに気づいた。ポップコーンで確かめ、金属の箱を作った。最初の電子レンジは、高さ1.8メートルだった。

写真: MIT Radiation Laboratory(作者不明)/ Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

コンビニのお弁当を温める マグカップの牛乳を温める 電子レンジはいまやどの台所にもある

この機械の始まりはレーダーの研究所で ある技術者のポケットの中のチョコレートがいつのまにか溶けていたことだった

小学校を出ずに、研究所へ

パーシー・スペンサーは1894年にアメリカのメイン州で生まれた。全米発明家殿堂によると2歳になる前に父を亡くしおじとおばに育てられた。そのおじも亡くなり12歳で学校をやめて糸巻きの工場で働き始めた。

1912年にタイタニック号が沈んだ。そのとき無線で助けを呼び続けた通信士の話に心を動かされスペンサーは18歳で海軍に入り無線を学んだ。勤務のかたわら教科書を読んで微積分や物理を独学した。

1925年にのちのレイセオン社となる会社に入る。

レーダーの心臓を、量産する

第二次世界大戦のあいだスペンサーたちはレーダーの部品を作っていた。「マグネトロン」と呼ばれる強いマイクロ波を出す真空管だ。敵の飛行機や潜水艦を見つけるのに使われた。

マグネトロンを発明したのはスペンサーではない。でも彼はその作り方を変えた。1941年にはマグネトロンは1日に17個しか作れなかった。スペンサーが部品を単純にした結果1日に2,600個作れるようになったという。

ポケットのチョコレート

戦争が終わったころ。研究所で動いているマグネトロンのそばに立っていたスペンサーはポケットのチョコレートが溶け始めていることに気づいた。

何が起きたのか確かめたくなった。

次に試したのはポップコーンの粒だった。袋をマグネトロンの近くにかざすと粒がはじけて研究室じゅうに飛び散った。

それから金属の箱を作った。箱の中にマイクロ波を送りこむと逃げ場のないエネルギーで中の食べ物がすばやく熱くなった。

高さ1.8メートルのレンジ

レイセオン社は1945年に特許を出願した。特許がおりたのは1950年。

最初の電子レンジは「レーダーレンジ」と名づけられた。マグネトロンがレーダーの部品だったからだ。1947年に売り出された。

ただしいまの電子レンジとはまるで違った。高さはおよそ1.8メートル 重さは約340キロ。値段も高く買ったのはレストランや業務用の台所だった。ポテトチップスを乾かしたりコーヒー豆を焼いたりするのにも使われたという。

家庭の台所へ

家庭向けの小さな電子レンジができるまでには20年ほどかかった。

アメリカの電気電子学会(IEEE)の雑誌によると日本ではシャープが1961年に国産初の電子レンジを作り翌年世界で初めて電子レンジを量産した会社になった。

1967年にレイセオン社が買収した会社から台所の調理台にのる大きさの家庭用が出た。値段は495ドル。ここから電子レンジは家庭に広がっていった。

チョコが溶けたとき

スペンサーは生涯におよそ150の特許をとった。小学校を出ていない技術者がのちに会社の副社長になった。

チョコレートが溶けたとき多くの人ならズボンのしみを気にして終わっていたかもしれない。スペンサーはなぜ溶けたのかをポップコーンで確かめた。

夜がふけた台所に立つと マグカップにはいつ淹れたのか冷めたコーヒーが残っている。扉を開けて中に入れボタンを押す。ゆっくり回る皿を見ながら 溶けたチョコレートのことを少しだけ思い出す。

今夜も冷めたコーヒーを温め直す。

出典

情報確認:2026年10月

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