ポンペイの軽食店のカウンターの正面。大きな絵に、海馬に乗る海の精ネレイスが描かれている。色はうすれているが、人物と、はためく布が見える。

HISTORY・・記事内容:約3分

ポンペイの軽食店のカウンターには、看板のような絵が描かれていた

2019年、ポンペイの小道の角で見つかった軽食店(テルモポリウム)。カウンターには、海の精の絵と、「ほとんど看板のよう」と説明される絵があった。公式の説明をたどる。

写真: Jamie Heath / Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.0)。縮小・再圧縮・メタデータ削除あり

道を歩いていてちょっと小腹がすく。そんなとき、2000年前のポンペイの人はどこに寄ったのだろう。

その答えのひとつが、2019年、土の中から顔を出した。

小道が交わる、四つ角の店

場所はポンペイの「第5区域(Regio V)」。ヴィコロ・デッレ・ノッツェ・ダルジェント(銀婚式の小道)と、ヴィコロ・デイ・バルコーニ(バルコニーの小道)。2つの小道が交わるひらけた角でその店は見つかった。

見つけたのは遺跡のまわりのまだ掘られていない境目を、崩れないように固める工事の中だった。ポンペイ考古学公園の説明によるとその境目は、全部で3kmを超える。地面の下にはまだ町の暮らしが眠っている。

その店は、「テルモポリウム(thermopolium)」という種類。名前はギリシャ語から来ていて、温かい飲み物や食べ物を出す店のことだ。ポンペイには同じような店が少なくとも80か所はある。

カウンターに、壺がはまっていた

店の中心は石でできたカウンター。食べ物や飲み物は、大きな壺(ドリウム)に入れられ、その壺が、カウンターの石積みにはめ込まれていた。

ローマの世界では中流や下層の人たちが、家の外で昼の食事(プランディウム)をとる習慣があった。いそがしい日の昼どきここにはきっと立ち寄る人がいた。

屋根の下の、軽食店の中。石のカウンターに、丸い口が並び、手前の端に、色のついた絵が見える。
写真: Jamie Heath / Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.0)。縮小・再圧縮・メタデータ削除あり

絵に、見とれた

カウンターの正面には馬(海馬)に乗る海の精ネレイスの絵がある。公式の説明は、「美しい姿」と呼んでいる。

もう一方の短い側の面には別の絵があった。店の商売を描いたものと考えられていて、公式の説明はこう書く。

“almost as if it were a shop sign”

(ほとんど店の看板のようだという意味。)

2021年の発表ではそこに、店で調理して売ったと思われる動物の絵があると説明されている。

しかもカウンターの前に置かれていた両取っ手の壺(アンフォラ)は、その位置が描かれた絵とぴったり合っていたという。絵の中の壺と地面から出てきた壺が同じ場所にあった。

2年がかりで、姿をあらわした

2019年に一部だけ掘られた店は装飾がとても特別だったため、2020年に全体を掘り終えて修復することが決まった。

2021年1月の公式の紹介では店はほぼ全部の姿で、よみがえったとされる。カウンターの絵のほかにもいろいろな静物の装飾、食べ物の残り、動物の骨、そして噴火で亡くなった人たちも見つかった。

カウンターの絵を守るために新しい木の屋根が作られ、昔の張り出したバルコニーも直された。そして、2021年8月12日、一般に公開された。

「強い感動」

2019年の発表で、当時の公園の責任者だったアルフォンシーナ・ルッソさんは、こんな趣旨のことを語っている。

こうした店はポンペイでよく知られている。それでも新しく見つかるたびに商いと日々の暮らしを伝える品々は、強い感動を伝え、噴火の悲劇の瞬間へ私たちを連れていく。

「ほとんど看板のよう」という言い方は公式も、断定せずに書いている。それでも文字が読めなくても絵を見れば何の店か分かる。そんな店が、2000年近く前の街にあったのだ。

湯気の向こうの、ひと

カウンターの前に立つとここで誰かが温かい一杯を受け取った場面を、想像してしまう。

壺のふたが開いて湯気が上がる。受け取る手と渡す手。いそがしい通りのほんの一瞬。

2000年のへだたりは、1枚の絵の前ではほんの一歩になる。

大人の寄り道はいつの時代も、角の小さな店から始まるのかもしれない。

出典

情報確認:2026年10月

次の一杯