戦国時代の青銅の壺。四角い口と、ふたがある。表面には、細かい渦の模様と、獣の飾りが並んでいる。河南省博物院の展示で、今回見つかった壺ではない。

HISTORY・・記事内容:約2分

2300年前の「一杯」が、青銅の壺の中に残っていた

中国北部の戦国時代の墓から出た青銅の壺に、およそ3.7リットルの液体が残っていた。二重の封で守られた、2300年前の穀物の酒の正体を、分析の結果と報道をたどって読む。

写真: Gary Todd / Wikimedia Commons(CC0)。今回の壺ではなく、別の青銅の壺。縮小・再圧縮・メタデータ削除あり

墓の中に青銅の壺があった。ふたを開けると中に液体が入っていた。

およそ2300年前のお酒だ。

万里の長城の近くの墓地

場所は中国北部、寧夏回族自治区の固原市にある山家堡(さんかほう。Shanjiabao)の墓地。戦国時代の秦が築いた長城から、2kmほどのところにある。

寧夏文物考古研究所が、2024年3月から発掘し、183基の墓を調べた。そのうち179基は秦の人たちの墓だった。国境を守る兵士や、近くに住んだ人たちの共同墓地だったと見られている。

問題の壺は、39号墓から出た。口がニンニクの頭のような形をした青銅の壺だ。

二重に封をした壺

この壺は封のしかたが変わっていた。内側は織物の裏張り。外側は有機物を混ぜた粘土でぐるりと覆われていた。

二重の封のおかげで、およそ2300年のあいだ、中身がほとんど失われずに残ったと考えられている。取り出せた液体は、3,740ミリリットル。透明で淡い青緑色をして、においはなく、少しだけ沈殿物があった。

分析で分かったこと

研究チームは液体をいくつもの方法で調べた。でんぷんの粒、植物の細胞にできるガラス質の小さな粒、酵母の跡、有機酸、アミノ酸。24種類の成分が見つかった。

でんぷんの92%以上は、キビ(broomcorn millet)のものだった。残りは小麦と大麦。有機酸の並び方は、人の手で熟成させた中国の黄酒(ホワンチウ)と、よく合っていた。

そこから研究者たちは果物のお酒ではなく、穀物から造った醸造酒だったと結論づけた。

穀物に「麹(こうじ。中国語では曲)」のような発酵のもとを加えて糖に変える作業と、アルコールにする作業を同時に進める。そんな造り方がこの時代にすでにあったと見られている。

「いちばん状態のいい」一杯

発掘を率いた王暁陽(ワン・シャオヤン)さんは、こう語っている。

“It is currently the most well-preserved and information-rich wine relic from the period of the Qin state that has been publicly reported in China.”

(いまのところ中国で公表されている、秦の時代の酒の遺物のなかでいちばん保存状態がよく、いちばん情報の多いものだという意味。)

別の研究者はこうも述べている。

“Alcohol production was only possible when grain harvests generated a surplus.”

(お酒を造れるのは穀物の収穫に余りが出たときだけ、という意味。)

お酒は食べ物が余ったときのぜいたくだった。

一杯を、墓に入れた人

兵士かその家族か。誰がどんな気持ちで壺を墓に納めたのかは分からない。

分かるのは、2300年前の人もお酒をあの世へ持っていきたいほど、大切にしていたらしいということ。

遠い昔、誰かが静かに杯を傾けた夜があったのだろう。その一杯の面影は長い時をこえて、いまも私たちの胸をそっと酔わせる。

出典

情報確認:2026年10月

次の一杯