黒い地に、ヴィクトリア女王の白い横顔が刷られた切手が、2枚ずつ2段、4枚つながっている。上に「POSTAGE」、下に「ONE PENNY.」の文字と、隅にアルファベット。

HISTORY・・記事内容:約3分

200年前の手紙は、受け取った人がお金を払っていた。世界最初の切手「ペニー・ブラック」を作った、元教師の冊子

1840年まで、イギリスの手紙は、届いた人が料金を払うものだった。距離と紙の枚数で決まる、高くて複雑な料金。それを「どこまでも1ペニー、先払い、しるしの紙を貼る」に変えたのは、郵便の役人ではない、ひとりの元教師だった。

メトロポリタン美術館 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

いまは手紙を出す人がお金を払う。切手を貼ってポストに入れる。あたりまえのことだ。

でも200年前のイギリスでは違った。手紙のお金を払うのは受け取る人だった。

受け取る人が払っていた

1830年代のイギリス。手紙の料金は紙の枚数と運ぶ距離で決まった。大きな紙1枚なら1通分。小さな紙2枚なら2通分。しかも計算は複雑で、払うのは手紙を受け取ったほうだった。

イングランドを横断して手紙を送ると8ペンス(1ペニーの8倍)ほどかかることもあった。ふつうの人にはとても払えない金額だ。だから手紙は少なく、郵便の収入も少なかった。

学校の先生の小さな冊子

1837年、ローランド・ヒルという男が一冊の小さな冊子を出した。題は『郵便局の改革 その重要性と実現性』。

ヒルは郵便の役人ではなかった。もとは父親の学校を手伝う教師で、のちに植民地の委員会の仕事などをしていた。40代になってから郵便に興味を持った。

彼の考えはこうだった。

手紙が安くなればもっと多くの人が手紙を出す。貧しい人も出すようになる。そうすれば商売も人のつながりももっと盛んになる。

この考えは最初は笑われた。でも議会は動いた。1839年、ヒルの改革を法律にする案が通った。そして1840年1月10日、国内の手紙はどこまででも1ペニーになった。

女王の横顔が選ばれた理由

先に払ったしるしの紙、つまり切手が必要になった。

デザインは公募され、およそ2,600の案が集まった。でも使えるものはなかった。結局選ばれたのは、ヒルが推した、ヴィクトリア女王の横顔だった。

人の顔はそっくりにまねるのがいちばん難しい。だから偽物を作られにくい。ヒルはそう考えていた。

横顔のもとになったのは、彫刻家ウィリアム・ワイオンが作ったメダルだ。それをチャールズとフレデリックのヒース親子が細い線で彫った。

1840年5月6日

切手は黒いインクで刷られた。のちに「ペニー・ブラック」と呼ばれる、世界で最初の切手だ。

正式に使えるようになったのは1840年5月6日。この日に貼られて送られた手紙がいくつか残っている。

切手は1枚の紙に240枚ずつ刷られた。縦に20列、横に12列。それぞれの切手の下の隅にはアルファベットが2文字入っている。最初の列の左から「AA」「AB」…最後の列の右下が「TL」。刷った紙のどの位置の切手かがわかるしくみだった。

冒頭の写真は、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある4枚つづり。下の隅に「BC」「BD」「CC」「CD」と読める。2列目と3列目の3番目と4番目。つながったまま200年近く残ってきた4枚だ。

上の隅には星のような模様が入っている。国の名前はどこにもない。最初の切手だからどこの国のものか書く必要がなかった。イギリスの切手にはいまも国の名前が入っていない。

1年もたたずに赤くなる

ペニー・ブラックには弱点があった。

使ったしるしに、郵便局は赤いインクで十字の印を押した。でも黒い切手の上の赤は見えにくく、しかも消しやすかった。印を消してもう一度使う人が出てきた。

1841年2月、切手は赤茶色の「ペニー・レッド」に変わり、使った印は黒いインクになった。ペニー・ブラックが使われたのは1年に満たない。

それでも刷られた数は6,800万枚を超えた。

ポストに入れる前に

ヒルはのちに郵便局の事務方のトップになり「サー」の称号を受けた。いまはロンドンのウェストミンスター寺院に眠っている。

切手を貼るとき少しだけ思い出してみる。手紙のお金を受け取った人が払っていた時代があったこと。

いまの1通は出す人が先に払う。届いた人はただ開けるだけでいい。それを決めたのは、ひとりの元教師の小さな冊子だった。

出典

情報確認:2026年10月

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