暗い廊下の突き当たりで、緑の四角いサインの中を、人の形が走っている。まわりに薄いもや。AIで作った絵で、実物の写真ではない。

CURIOUS・・記事内容:約4分

非常口のマークは、3,337点の応募から選ばれた。どのテストでも1位ではなかった

非常口のマークは、3,337点の公募から5種類のテストで選ばれた。総合1位の作品は、どのテストでも1位ではなかった。煙の中の実験から、パリの会議の拍手、1987年のISO承認までをたどる。

※生成画像

緑の四角の中を白い人が走っている。

どの建物でも見かける非常口のマークだ。あれは日本で生まれて世界の決まりになった。選ばれたときの話がおもしろい。

今年の8月に、ひとりのデザイナーが亡くなった

デザイナーの太田幸夫さんが、86歳で亡くなった。非常口のピクトグラム(意味を伝える絵文字)に関わった人として、各紙が伝えている。

あのマークがどうやって決まったのか。日本照明工業会の会報に当事者が書いた記録がある。書いたのは消防の研究者だった神忠久さん。

煙の中で、「非常口」の文字が読めなかった

1970年5月。神さんは消防の研究所で実験をした。

長さ20mの廊下に火事の初めくらいの煙を満たす。人を一人ずつ入れて、反対の端に置いた誘導灯が、何m先から見えるかを調べた。

結果はひどかった。誘導灯は薄い煙の中でさえ見えなくなる。煙が2倍濃くなると見える距離はほぼ半分になった。

しかも字によって差があった。「口」の字はやや濃い煙の中でも見える。ところが「非」と「常」はごく薄い煙で、もう読めない。

当時の誘導灯は縦12cm、横36cmの小さなものだ。緑の地に白で、「非常口」と書いてあるだけ。停電したときは豆電球3個で20分間ともる。

そこで神さんは考えた。字をやめてできるだけ単純な絵にしよう。子どもや外国人にもひと目でわかる絵に。

火事のあと、誘導灯は大きくなった

1972年、大阪の千日デパートの火事で、118人が亡くなった。翌73年には熊本の大洋デパートで103人。

この2つを受けて、74年に消防の法令が変わる。小さな誘導灯のほかに、中くらいと大きいものが加わった。大きいものは縦40cm、横120cm。

絵のマークを作る話はその少し先で動き出す。

一流のデザイナーの絵に、心が動かなかった

神さんは当時、超一流といわれたデザイナーを呼んでもらい、誘導灯にふさわしい絵を描いてもらった。

しかし絵を見せた大都市の消防職員は、10数人。そのうち誰一人その絵に心を動かされなかった。

神さんは思った。万人が納得する絵にするなら公募して、誰もが認める方法で選ぶしかない。

1978年、日本消防設備安全センターの研究委員会が立ち上がる。神さんはそこで「誘導灯の表示面を絵にする」仕事を、自分から申し出た。委員長は「好きなようにやっていいよ」と言ったという。

応募は、3,337点。

1位のテストが、ひとつもなかった絵

3,337点から1つを選ぶために、5種類のテストをした。

5つの点数を合計して順位を決めた。

するとおもしろいことが起きた。あるマークは、1つのテストでは1位なのに、別のテストでは7位や10位になる。総合で1位になったマークはどのテストでも、1位ではなかった。いつも2位か3位。それをずっと保っていた。

その作品の一部を直していまの絵になる。消防庁は、1982年1月からこれを使い始めた。

パリで、拍手が起きた

神さんは、このマークを国際的な非常口の記号にしようと、1980年5月に、ISO(国際標準化機構)へ提案した。

1年ほどして返事が来る。「ISOには数年前から検討している案がある。いまから提案されても受け入れられない」。

その案を手に入れて見比べると、日本のものによく似ていた。ただし日本のほうが形が単純だった。見え方を比べる実験をするとふつうの明かりの下でも、煙の中でも日本のほうが上だった。

作業部会は3回ひらかれても日本案は通らない。最後の会議は、1984年12月パリ。神さんは初めて出席した。

冒頭で時間をもらい、マークができるまでの経緯と、実験のデータを説明した。話し終えると議長が言った。

そこまで科学的なテストをして決めた日本案は素晴らしい。委員の皆さん、日本案を採用して問題はないですね。

(意味を日本語にしたもの。)

全員の拍手で日本のマークは、ISOの案になった。1987年8月、ISOの事務局から承認の書類が届いた。

次に、あの緑を見たら

どのテストでも1位になれなかった絵が、全部のテストでいちばん外れなかった。

派手に目立たなくても、どの場面でも2位か3位に入る。そういうものがいちばん頼りになる夜がある。

次に非常口のマークを見かけたら、あの走る人の線を、少しだけ見てみてほしい。

出典

情報確認:2026年10月

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