1914年のクリスマス、無人地帯に出て並ぶイギリスとドイツの将校たち。厚いコートと軍帽の男たちが、カメラの方を向いている。白黒写真。

HISTORY・・記事内容:約2分

撃ち合っていた兵士たちが、クリスマスの夜に歌い出した。1914年の「クリスマス休戦」

1914年のクリスマス、西部戦線で敵味方の兵士が塹壕から出て握手を交わした。教皇の呼びかけ、歌と贈り物、サッカーの真偽、そして翌年は起きなかった理由を、記録からたどる。

1914年12月25日、西部戦線。帝国戦争博物館(Q 50721)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

休戦を呼びかけたのは、教皇だった

戦争が始まって約5か月。12月7日、ローマ教皇ベネディクトゥス15世が、せめてクリスマスの夜だけは銃を止めるよう呼びかけた。どちらの陣営も公式には応じなかった。

それでも前線にはすでに小さな休戦があった。夕方、食料を運ぶ間は撃たない。イギリス軍とドイツ軍のあいだに、そんな暗黙の了解ができていた。

歌が、先に始まった

イブの夜、ドイツ軍の塹壕にろうそくとクリスマスツリーが灯った。ドイツ兵が歌い、イギリス兵が歌い返した。『きよしこの夜』が何か国語かで重なった、という記録もある。

イギリス軍のエドワード・ヒュルス大尉は、歌の最後に「オールド・ラング・サイン」(日本で「蛍の光」として知られる曲)が響いた夜を書き残している。

そして25日の朝。兵士たちは塹壕から出た。

握手をして煙草や酒、チョコレートを交換した。軍服のボタンや帽子を記念に取りかえた者もいる。

嘘かまことか、サッカーも始まった

嘘かまことかサッカーも始まったと語られている。どこまで本当かは意見が分かれている。

ただこの休戦は、遊びのためだけのものではなかった。

死者を、ちゃんと送った

休戦の時間は、戦死した仲間の遺体を引き取る時間にもなった。敵味方で遺体を運び、合同で葬儀をした場所もある。

休戦は約10万人が参加したと推計され、前線の3分の2にまで広がったという見方もある。けれどもすべての場所に訪れたわけではなく、戦いが続いた場所もあった。

それでもはっきりしているのは、あの夜、あの場所で、人が人に戻ったことだろう。

イギリス兵のオズワルド・ティリーは、手紙にこう書いた。

クリスマスの時期に殺し合うのは、正しいことに思えない。

(意味を日本語にしたもの。)

翌年は、起きなかった

1914年12月29日、ドイツ軍は、敵との交流を禁じる命令を出した。1915年の12月には、連合国側も「繰り返すな」と命じた。砲撃や襲撃で接触を防ごうとした。

それ以降あの規模の休戦は二度と起きなかった。最後の参加者として知られるアルフレッド・アンダーソンは、2005年に109歳で亡くなっている。

戦争はそのあと3年続いた。ただひと晩だけ歌のほうが先に届いた。その夜が本当にあったことを兵士たちの手紙が、いまも伝えている。

出典

情報確認:2026年10月

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